近頃「余生」という言葉をよく耳にする。渦中に身を置く者としては妙に鼓膜に響く言葉である。この余生という言葉は何歳くらいからを指すのだろうか・・どんな辞書を見ても書かれていることは『職を退いて送る生活・・残された人生を楽しく送ること』とある。どうやら年金族・後期高齢者を指してそう呼んでいるらしい。

拘るつもりはないが、古語辞典を見ていて「余生」に替わる言語を見つけた。余情(よせい)だ。風情、風流、情緒、雰囲気、遊趣を意味する・・とあり、解釈によっては加齢や残存人生とは違う趣を感じる。余情と言えば静かな余生が愉しめそうな気がしてきた。単純な愚老の言葉遊びに過ぎないが・・・。

哲学者ショペンハウエルの格言に「生きた前半に注釈をつけて暮らすことが老いての仕事だ」というのがある。これも後半が余生だと言いたいらしいが、名言とは言えないと思う。自分に対する言い訳だったり誤魔化しにしか聞こえて来ないからである。どうも人間とは自己弁護の能力に長けている動物らしい。

江戸期の画僧に「仙崖禅師」がいる。87歳で没しているが粋で味わい深い語録が残る。作品の一編に『老人六歌仙』があり加齢と共に誰もが通過する晩年が潤膚霜面白く綴られている。平成の現代にあってもその侭通用しそうな洒落た筆だと思う。浮世に厄介になってる間は周囲に嫌われぬ様注意を払い、心して与えられた時間を過ごしたいものである。