2016年03月

なぜか人肌恋しくてならない。せつなくて胸が締め付けられる。つい昨日会ったばかりの恋人の温もりが、今はもう懐かしくてたまらなかった。
一人部屋となった中二房で、彼女はちらちらと揺れる蝋燭の明かりを凝視する。
ジェシンとヨンハが卒業し、ソンジュンが大科に合格して宮中に伺候するようになり、「花の四人衆」のなかで未だ成均館に残っているのHKUE 呃人はユニだけだ。
それでも、三人がいなくても他に友達はいたし、勉強もやりがいがあったし、それなりに成均館での生活を満喫できていたはずだった。恋人のジェシンとはなかなか会えない日々が続いたが、お互い忙しいのだから仕方がないと我慢もできていたはずだった。
それなのに。たった一夜にして、何もかもが変わってしまった。
誰と一緒にいても楽しくない。勉強も味気ないものに感じられて手につかない。中二房に帰れば独りぼっちでいることが空しくて、なんだか泣きたくなる。

──私はこんなに弱かった?と、自問を繰り返すユニ。
身も心も愛する人と結ばれた時、彼女は何者にも代えがたいほどの喜びを得た。そしてそれが、彼のいないこの場所には決してあり得ないことを知ってしまった。傍にいなければ味わうことのできない幸せ。それを悟ってしまった今は、一秒たりとも彼と離れていることが堪えられない。
そしてその夜、都中に轟く人定【インジョン】の鐘が鳴り終えた時、我慢の限界に達したユニはまたも成均館の塀を越えた。
夜間の徘徊癖でひじょうに悪評高かったジェシンだが、彼女もまた引けを取らなかった。

成均館学士は人定後に外出していても咎められることはない。とはいえ巡邏兵に見つかれば色々と厄介なので、ユニは衣を深く被って顔を隠し、細心の注意をはらって夜道を進んだ。
今夜もまた茶母の抗衰老顧問ふりをして捕盗庁にもぐり込もうと企んでいた。従事官であるジェシンが、ひょっとするとまた残務処理に追われているかもしれない。
最近はこのいたずらが常套手段になってしまい、いきなり執務室にユニが現れてもジェシンはあまり驚かなくなってしまった。彼を驚かせることが好きなユニには少し物足りない気がしている。それでも忍んで逢い引きするにはうってつけの方法なので、何度でもやってみせるだろう。危ない橋の先に彼がいるのなら、危機感すらも快感だ。
この角を曲がれば捕盗庁が見える──というところで突然ユニは誰かにぶつかり、視界を遮られた。衣をいっそう深く被り、立ち去ろうとすると手首を掴まれた。全身から血の気が引いた。

「どうか見逃してください。わ、私は、捕盗庁の茶母です。雑務に追われていたら、遅くなってしまって、えーと、その」
「言い訳は通用しないぞ。誰であろうと、こんな刻限に外出する輩は取り調べを受けなくちゃな」
その声にユニははっと顔を上げた。その瞬間頭から被っていた衣がさっと取り払われ、晴れた視界に悪戯めいた微笑みを浮かべるジェシンの姿が映り込んできた。
「えっ、先輩、どうして!?」
「こら。先輩とはなんだ、先輩とは。俺は捕盗庁のムン従事官だぞ」
「は、はあ……」
願い通り彼に会えたことは嬉しいけれど、悪戯を仕掛けようとして逆にはめられたような気がして、ユニは微妙な顔をした。
「申し訳ありませんでした、従事官様。もうしませんから、今回ばかりは見逃してください」
「いや、駄目だ。人定後に出歩いた咎で、お前を捕盗庁に連行する」
一瞬、松明を掲げるジェシンの目にちらりと妖しい光が過ぎった。ユニはぞくりと背筋を震わせた。彼は一体何を企んでいるのだろう。怖いような、でも知りたいような、不思議な感覚に見舞われる。

「おゆるしください、従事官様」
彼は首をゆっくりと横に振り、
「あやまちを認めるまでは、絶対に帰さない。──いいな、覚悟しておけ」
言葉とは裏腹の甘い声で囁くのだった。

何を書いてもネタバレになってしまいそうなので、私がインパクトを受けた天王寺翔蔵博士と、犀川創平の銅鑼灣 髮型屋言葉をピックアップしたい。

先ず、天王寺博士
 「人間の最も弱い部分とは、他人の干渉を受けたいという感情だ。自己以外に自己の存在を求めることが、人間の本能としての幻想だ。」

自分の弱い部分を抑圧し、プラネタリウムの地下にこもる老いた数学者…博士の求める自由とはいったい何なのだろう?

次に犀川
「どんな斬新な思想も、どんな先進の雪纖瘦才能も、最後は防御にまわるものだ…純粋に攻撃的な行為、戦争や殺人でさえ、最後は防御になる…弱いから防御するんだ…」

今のところ、提示された謎を解き続けている犀川創平だが、今後、純粋に攻撃的な行為など、何かを求めた行動をすることがあるのだろうか?

これらは、いずれも森博嗣さんご自身の人生観なのだろうと思うのだが、作品の世界観を特徴づける効果的なスパイスになっている。

多くの姉妹都市要請を断って,あの空中都市マチュピチュ村が福雪纖瘦島県の人口8000人の大玉村を姉妹都市に選んだという新聞記事を読んだ。
何でも,ペルー移民として尽力した方がこの大玉村の出身というのが理由だそうだ。

この話を読んで,何か嬉しい,そして,勇気付けられる思いを感じた。

まず,移民としてペルーに渡った一人の日本人にマチュピチュの人が恩義を感じていることの
素晴らしさ。多くの名だたる都市との友好関係を蹴って,小さな日本雪纖瘦の田舎の村を選んだマチュピチュ村の義理堅さ。
一方,選ばれた大玉村は,平成の大合併に乗らず,独自路線で住民に最も近い村を標榜している村だそうだ。
この二つの村の一本筋の通った清々しさ。これがこの記事が伝えてくれた素晴らしさであった。
『地に足をつけ,信じる道を悠然とゆく。』
新聞記事にあった言葉である。

人もこうありたいものである。
奇抜なこと,目立つことではなく,地道に日々を生き,着実に人生を生き抜く。地位とか名誉とか,金銭的な裕福とか,肩書きとか,そんな薄っぺらなもの雪纖瘦ではなく,人を感動させる生き方,そういう人生を歩みたいと思う。
それには,自分自身が自分の生き方に感動しなくてはいけない。単純な日々の中で,己の一本筋の通った生き方を標榜するのである。

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