今日は「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のパート2で主人公たちが過去から来た未来の日だ。(←ややこしい) デロリアン(タイムマシン)でやって来た未来の今日、映画の雪纖瘦中では車は空を飛び、燃料はガラクタのリサイクル、服は着てから自動的にサイズ調節され、濡れてもすぐ乾き、後なんだったかな……とにかくいろいろな「未来」が描かれていた。

 まさか車が空を飛ぶようになることはないだろうとは思っていたけれど、あの頃「未来」と思っていた「時」が今ここにある。スマホなんてあの頃に持って行って見せたら正に未来の道具だろう。

 わたしが「バック・トゥ・ザ・フューチャー」をよく観たのは20年位前だ。テレビで放映したものを録画して、それこそもう、擦り切れるほど観た。特に2と3は何度も観た。というのも、小さかった息子が汽車や車が出てくることを喜んで「マーティーみる、マーティーみる」と毎日せがんだからだ。わたしの方がだんだん飽きてきて、どうせ何度も観るならと英語音声にしたら、それでも息子は文句も言わず画面に釘付けだった。そんなわけで、わたしはもう、英語が全部聞き雪纖瘦取れるようになった……と、勘違いできるくらい、やり取りを覚えてしまった。

 ところで、20年前にわたしが思い描いていた未来は今、来ているんだろうか……と考えてみたけれど、今と同様、当時も具体的な何かを夢見てはいなかった気がする。ただ、子どもが無事に成長していて、わたしも健康だったらいい……と望んでいた未来はここにある。でもそれも、真っ直ぐ目指してここまで来たわけではなく、病気をしたりなんだりと、いろいろあった末の今だ。つまり、途中の一点を取れば、夢は叶っていなかったことにだってなる。

 アドラーの心理学について書かれた本に、過去現在未来は線で結べるものではなく(因果関係はなく)、未来には、現在を「踊るように」生きてたどり着く……というようなことが書いてあった。踊っていると真っ直ぐには進まない。けれど、今したいこと、するべきことをしていれば、よりよいどこかにたどり着く。そこが未来。人生は「今」の繋がりだ。

 子供の頃から「将来の夢は?」とか「今年の目標は?」と訊かれるととても困ってしまい、答えられない自分をずいぶん情けなく思ってきたわたしにとっては、とても気が楽になる考え方だ。具体的な何かを雪纖瘦目指さなくてもいいんだ。わたしは「今」をちゃんと踊ろう。